2009年08月12日

檻から出るのは、自分次第。〜アファメーションの本質の話。

20090804きりん.jpg


公共機関で英語を聞くとき、いつも感心することがありました。
Thank you for~…で始まる文章。

たとえば、日本語だと、「○○しないよう、ご協力をお願いいたします。」となるところが、英語だと「Thank you for □□」に訳される、というような。

同じ注意喚起をしているんだけれど、後者の方が、何故か気持ちが良いな、と、いつも感じていました。


さて。
久々に電車に乗る機会がありまして。

日本語のアナウンスで、何だったか正確には覚えてませんけどたとえば、今までだったら
「入られましたら奥の方へお進み下さい」
と言っていたところが、
「奥の方へお進み戴き、ご協力ありがとうございます。」
に変わっていたんですよね。

おお、日本も良い影響を受けているじゃないか!
と、感心したのでした。


人によるのかもしれませんが、私がそこで感じたこと。
「こうしてくださいね」「こうしないでくださいね」
と、「これから行うこと」について「指図」を受ける感じ?って、あんまり気持ちよくないんですよね。
先回りされ、自由を奪われるように感じるし、もっと言うと、自分が「そういう風に扱われる程度の人間でしかない」っていう感じがする。

それが、行為をする前から、「こうして頂いてありがとうございます」と言われるのって、「自分がそうする、できると信頼されている」と感じるし、また「そうする人間であると認められている」と感じる
そうすると、抵抗なく、求められている行動をとり易くなるなぁ、と思う訳です。


何が言いたいかというと。

新月のお祈りと、満月のお財布ふりふりのことを、前にちらっと書きました。

これはもともと、アファメーションを使うので、「既に起こったこと」として書くように(或は唱えるように)、と言われているのですね。
未来のことなんだけど、決定事項として捉えてしまおう、それによって潜在意識に刷り込み、結果的に現実化するんだ、と、そういう話な訳です。

でも、人間、願えば願うほど、「そう甘くいかないんじゃないか、失敗するんじゃないか」と疑ってしまいます。
だから最近では、その抵抗感を払拭するお願いも書き込みましょう、とか、段々そうなっていける、というような「信じられる」レベルにまで「完了具合を引き下げる」方法で良いですよ、とか、そういう風に言われるようになりました。


上に書いた、「こうしてください」と、「こうしてくれて、ありがとうございます」との違いの話と、図式は全く同じなんだなぁ、って、思ったのでした。

アファメーションを文字通り遂行しようとすると、「自分は、願いを現実化するに値する人間である」ということを、事実として受け入れ、認めることが必要なんですね。

これって、他人のことは意外にすんなり認められるのに、どうして自分のこととなると、途端に「私には、そんな良いことを、受け取れるほどの価値はない!」と思ってしまうんでしょうね。


人は皆、私も含めて、自ら檻に入っておいて「出たい出たい」と望んでいる、そういう状況に今あるんでしょうか。


出る方法は、ただひとつ、かつとても簡単。

私は、檻から出ようと思えば出られるし、そうなれる価値がある。だからこそ、檻から出るか出ないかは、自分で決められるし、決めなければいけないんだということに気づくこと、だと、私は思います。




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posted by 六花(りっか) at 01:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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