2009年11月12日

スピリチュアルは科学的であるべきか?

Amebaと同一内容記事です。


ちなみに、Amebaを立ち上げて以来、コズミック・ダイアリーを除いたスピリチュアル系記事は、なるべくあちらに上げるようにしています。なるべく、ですが。

なので、そういった情報・記事等御好きな方は、あちらを覗いてみてくださいねかわいい
近々、毎日のオラクルメッセージなども開始するつもりです〜。



では、本題。


朝から刺激的なブログ+コメントがあって、寝ぼけた頭が一気に覚醒
「すごく言いたい」ことを思い出したので、書いてみます。


まず、私は、かなりスピリチュアルな思想で生きています。

いわゆる「スピリチュアル系」と言われる考え方を下敷きにして生きてるってコトです。

そこんとこと、これも「いわゆる現実」との折り合いの話は、また別として。


スピリチュアルの思想というのは、一部(か大勢か…?)からは、

夢見がち
世迷い言
地に足着かない
現実を見てない
もっともらしく「嘘」を言う
そうやって人を惑わせる
などなど、などなど

と思われがちですね。


コレ、多分、
スピリチュアルな思想が、

前世や生まれ変わり、オーラやチャクラ、「気」や宇宙的エネルギー、(人によっては霊など)、

などなどを「在る」とした上で語られていて……

それらが、科学的に証明されていない

ところから来ているんだと思うんです。


これを払拭するために、量子力学で説明した書籍や、エビデンスをはっきりさせようとしている試みなどが、世の中にはたくさんあります。

それらの試みが、誤りだとは全く思いません。
為されること、成されることに、意味はあると思います。


ただ……


私は、スピリチュアルはやはり「思想」だと思うんですね。

考え方と、価値観
何を信じるか、信じたいか

そのときに、エビデンス(ここでは「客観的・科学的根拠」くらいの意味です)って、私は、あまり必要だと感じないんです。

それよりもっと大切なのは、「直接体験」だと思う。


データや情報が溢れている今、それを読み解ける力が、受取手には必要です
読解力。知識。論理的思考。そしてそれらを生む思考力、発想力、応用力。

エビデンスを求めるということは、逆に受け取る側は、そのエビデンスを「本当にエビデンスになっている」と確信できるだけの力がないといけない

「データがあるから、信用できる」
ではダメだと思うんです。

「このデータはホンモノだ、理屈が合ってる」
って、判断できなくちゃ。

それを見抜き、その上で自分の価値観と生き方に合ったものを自己責任で選んでいく、というのが、私は良いと思うんです。


その上で。

その価値観や人生観、何が「好き」で何が「嫌い」かを形作るのは、

その人の性格であり、
理想であり、

そういうものを形成するのは
実感
なんだと思うんです。

「実感」は、「直接体験」を基に作られると思います。
(聞いた話とかでも、「おおっexclamationなるほどexclamation×2」と心が動いたら、その心の動きが「直接体験」。)


長〜くなりましたが、

だから、
科学的に立証されたものでも、
スピリチュアルな考え方やツールでも

誰かが「こう考えたら幸せになれるよ」と言っても
誰かが「これを使えば楽になれるよ」と言っても

考えてみて、やってみて、使ってみて、


やっぱり信じられなければ信じなくていい

逆に、

本当に心から「よくわかんないけど、本当に変わった」「何かが感じられた」って思えたら
堂々と信じれば良い


エビデンスも科学も、究極的には必要ない


必要なのはただ、自分自身の心だけ

そう、私は思うんです。




私を刺激して下さったブログ&コメントは、「美髪室ゆい Kazのブログ」の「ピコ ぴこ?」さんとhanaさんのコメント

です。

ありがとうございました。




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 私は 銀河の活性化の正門 私に入りなさい」



posted by 六花(りっか) at 11:06| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ちょっと違うかも知れないけど「It's Only a Paper Moon」の歌詞を思い出しました。

科学が証明できることなんてどれくらいあるのか。
それがどれくらい価値のあるものなのか。
そんなこと考えました。

また、ご教導くださいませ。
Posted by take5 at 2009年11月16日 19:19
>take5さん

>科学が証明できることなんてどれくらいあるのか。
>それがどれくらい価値のあるものなのか。

私の考えも、この視点を含んでいると思います。
純粋な疑問として。

科学の有益さは既に立証済みで、その恩恵を否定する訳にはいきません。
しかし、科学的視点の限界は、既に科学によって証明されてしまっているとも言えると思います。
ここで、科学的視点のみに依って立つ危うさが、現代では既に在るものとなってしまっているのではないか。

と、そんなことを思います。
Posted by ricca at 2009年11月21日 00:02
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